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岡山家庭裁判所 昭和44年(家)121号 審判 1969年7月14日

申立人 田崎洋子(仮右)

相手方 深井芳明(仮名)

事件本人 深井芳子(仮名) 昭四二・四・二八生

主文

申立人の親権者変更についての申立はこれを却下する。

相手方は申立人に対し離婚に伴う財産分与として金三二万二、五〇〇円を支払え。

理由

(本件申立の要旨)

一、申立人は昭和四〇年三月三日相手方と結婚しその後相手方との間に長女千明及び事件本人である二女芳子の出生をみた。

二、ところが夫婦仲は円満にゆかず、申立人は昭和四三年七月三一日離婚の調停を申立て同年九月一一日に「<1>申立人と相手方とは離婚する<2>申立人は二人の子供の親権者となる<3>相手方は長女千明の養育費として月額五、〇〇〇円を支払う」という内容の調停が成立し上記調停に基づき離婚するに至つた。

三、ところが相手方は定められた養育費を一回支払つたのみでその後支払わず、結局申立人が被服縫製工として働いて得てくる日給六〇〇円の収入で申立人、子供二人及び申立人の母ゆき子の生活を支えている訳であるがこれではとても暮してゆけない。

そこで相手方の方で二人の子供のうち二女芳子を引取り監護教育に当つてもらいたい。

四、申立人と相手方は婚姻生活中に五〇万円位の貯蓄をなした。これはすべて相手方名義で貯金されていたが申立人と相手方が協力して貯えたものであるからその中の相当額を相手方から申立人に分与さるべきである。

五、よつて申立人は相手方に対し二女芳子の親権者を申立人から相手方に変更すること及び離婚に基づく財産分与として相当額の金員の支払を求める。

(当裁判所の認定した事実関係)

本件各記録に編綴されている戸籍謄本二通、相原松一作成の「証明書」と題する書面、○○興業株式会社作成の給料支払明細書、当庁調査官山口愛治、同益田義弘(二通)作成の各調査報告書、当裁判所の申立人、相手方及び田崎ゆき子に対する各審問の結果を総合すると、次のような事実を認めることができる。

(一)  申立人は昭和四三年七月三一日当裁判所備前出張所に離婚の調停を申立てたところ、同年九月一一日当事者間に「<1>申立人と相手方は離婚する<2>長女千明、二女芳子の親権者を申立人とする<3>相手方は長女千明の養育費として月額五、〇〇〇円を昭和四三年九月から昭和四五年八月まで支払う。その後の養育費分担額については当事者間であらためて協議する」旨の調停が成立した。ところで右調停の際、申立人は子供を当事者間で一人ずつ引取るようにしてほしいと極力主張したが結局容れられず前記のような調停になつたこと、しかも申立人は相手方が養育費を一度支払つたのみでその後の支払をしないばかりか今後絶対支払わないと言明していることから今後に不安を覚えたこと及び調停の席で財産の分与についても要求したが相手方は貯金の存在を否定してその要求に応じる気配がなかつたためその点については別途に申立をなすこととして前記の調停成立をみたため、その後本件申立をしたものである。

(二)  離婚に至るまでの事情

1、申立人と相手方は申立人の伯父の紹介により昭和四〇年二月三日見合結婚し(届出は同年三月三日)、二人の間に同年一二月二九日長女千明を、昭和四二年四月二八日事件本人である二女芳子をそれぞれ儲けた。

2、申立人らは結婚後○○駅前のアパートで生活し、相手方は綿打工として○○ふとん店に、申立人も結婚後一ヵ月位してから○○興業株式会社に勤め、いわゆる共稼ぎ生活をしていた。当時申立人ら夫婦と同じアパートに申立人の母である田崎ゆき子も一室を借りて住んでいたが、ゆき子は食堂に勤めていて食事も全てその食堂で済ませていたこともあつて全く別々に生活をしていた。

3、昭和四一年二月頃申立人らは町営住宅に当つて入居することになつたが、この時からゆき子も同居して生活することになつた。

申立人も当時長女が生まれて間もなかつたので家におり、ゆき子も食堂を辞めていたので一切の生活が相手方の収入にかかるようになつてきたが、相手方としてはこのようなことに不愉怏であり、ゆき子に対し町営住宅の家賃を分担せよと要求するし、一方ゆき子は強情なところもあつてその間に紛争が起り、申立人としてもゆき子に反発しで申立人ら家族のみで母から離れて相手方の生家で生活したこともあつたが、二女出生の頃から申立人とゆき子との結びつきが強くなつて相手方が疎外される傾向が強まり夫婦間に溝が生じてきたものである。

そしてこのようになつたもう一つの原因は、相手方の余りに吝嗇な生格、そのために生ずる生活苦にあつたと考えられる。

申立人らは共稼ぎをしている期間も申立人自身の給料はそのまま相手方に渡し、その一切を相手方が管理し、申立人は必要の都度相手方から金をもらつて買物に出掛ける状態であつた。しかも相手方は釣銭が不足するといつては板をぶつけたり、子供のおやつや玩具もぜい沢だといつて買い与えず、病気になつた子供を申立人が勝手に医者に見せたということで子供を殴るということもあり、その度を越した吝嗇振りが家庭に不和をもたらし、遂にこれを破綻するに至らしめたものであつた。

昭和四三年七月四日申立人と相手方は些細なことから口論となり、同月一〇日頃から相手方は家族を放置したまま生家に帰つてしまい、同月三一日前記の調停申立となつたものであるが、調停成立前、相手方は申立人らの留守中に相手方個有の荷物とテレビ、洗濯機を持帰つていたものである。

(三)  婚姻生活中の当事者の収入

申立人は結婚して一ヵ月位は家にいたが、昭和四〇年三月頃から同年一一月頃まで○○興業株式会社にミシン工として勤め、その後子供の出産等のため勤めをやめたが再び働く等し、結局結婚生活中(約三年半)前後三回にわたり通算二年間位同会社に勤務し、月額平均一万五、〇〇〇円位の収入を得ていた。

一方相手方は結婚前からの勤務先であつた○○ふとん店に綿打工として勤め、平均して月三万円程度の収入を得ていたが、一時期同店をやめて二ヵ月位遊んでいたこともあり、又、収入が月額一万四、〇〇〇余円という極端に少い時もあつた。

二人の収入は相手方が保管し、生活費に月二万円位を使い他はすべて相手方名義で預金していた。

(四)  当事者らの現在の生活状況

(1)、申立人は現在○○興業株式会社にミシン工として勤め、月額約二万円の収入を得て、それで申立人、子供二人、母ゆき子の生活を支えている。(相手方から支払われるべき月五、〇〇〇円の千明の養育費は一度支払われたきりであり、かつ相手方は現在の心境として今後一切支払う意思なしと言明している)

申立人が勤務のため留守の間は子供たちは専らゆき子の世話を受けているが、ゆき子は肝臓炎、関節炎を患つており、一応日常生活に支障をきたすものとは思えないが活発に動きまわる子供に対して必ずしも十分な保育がなされているとはいえないであろう。

(2)、他方相手方は現在生家で父友一(六〇歳)、妹幸子(二一歳)、同邦子(一八歳)、弟正一(一六歳)及び祖母きよ(八二歳)と生活し前記○○ふとん店に勤務して月額約三万円の収入を得ている。しかしきよを除く他の家族はすべて昼間は勤め或は高校に通い(但し邦子は昭和四三年一二月より交通事故のため入院中)、きよは既に高齢のため自分の身のまわりのことをするだけで精いつぱいの有様である。

(五)  当事者の資産関係

当事者間の資産としては家財道具一式と預金のほか特段の財産はなかつたものである。家財道具については別居後調停成立前に相手方が自己の固有財産と共有財産であるテレビ、洗濯機を持帰つたものであつて、他に特にめぼしい物もないと考えられ、かつ申立人も分与の対象から除外しているので一応の解決をみたものと考えるのが相当である。

ところで預金について考えるに、昭和四四年(家)第一二一号記録編綴の昭和四四年六月一一日附○○相互銀行○○支店長名義の「記」と題する書面によれば、相手方は相手方名義で

<イ>  昭和四三年五月二七日定期預金として六〇万円預入(満期同年一一月二七日)

<ロ>  昭和四三年八月一四日定期預金として一〇万円預入(満期昭和四四年二月一四日)

<ハ>  昭和四三年八月一四日普通預金として六万五、〇〇〇円預入

をそれぞれなしており、これらはいずれも昭和四三年八月三〇日に解約されていることが認められる。そしてこれらの金は解約後どうなつたかということは不明であるが(相手方は預金の存在を否定し、仮にそれがあつたとしても離婚時のごたごたの中でやけ気味になつて全額費消してしまつたと述べるも前記認定のような相手方の性格等から措信しえない)、少くとも昭和四三年八月三〇日に相手方名義の預金七六万五、〇〇〇円が存在したことは明らかである。そうして離婚の調停が成立したのは前述のとおり同年九月一一日であるから、離婚の時点にごく近接した八月三〇日に七六万五、〇〇〇円の預金の存在が明白である以上、離婚時にも存したと推定されるしこの額を仮に相手方がこれを費消して減少させたとしても、共同生活の費用としたものではないから一種の財産の先取りであり公平の観念からすればかかる減少を考慮すべきではなく財産分与の基準としては前記全額とすることが相当である。

しかしてこの金額の中には相手方が仕事中誤つて指を切断したため受給した労災保険金一二万円が含まれていることが認められるのでこれを差引くと結局分与の対象となる預金は六四万五、〇〇〇円であると認められる。

なお申立人はこの中には結婚前から有していた自己固有の金である二万円が含まれていると主張し、相手方も同じく一〇万円が含まれていると主張するが、これらを裏付ける資料はなく、かかる心証を得ることが出来ないのでこの点は考慮しない。

(六)  結論

(1)  親権者の変更

前記認定の事実によると、相手方の生活態度ないし生活環境は<イ>相手方自身のこれまでの子供に処する態度、考え方からみて相手方は子の監護教育をなすに適しているとは思えない<ロ>子を実際にみるべき人もいない<ハ>子供自身父親に親和感を有しているとは思えないと認められる。

一方申立人側の事情についてみるに<イ>経済的困窮、<ロ>母親である申立人は勤めを持ち昼間は家にいない、という欠陥も確かにあるが、しかし未だ幼ない事件本人の生育において母親の愛情は不可欠であり、母親不在中も一応事件本人の祖母にあたるゆき子が世話をしていること、ゆき子は健康上の障害もあり万全の育児は出来ないにしろ現状においては一とおりのことはなされていると考えられるし、又姉千明と共に育てられることはより一層望ましいと考えられること、経済的面での問題も、既に調停で相手方が月五、〇〇〇円の養育費を支払うことが決つているのであるから、これを相手方が支払わずにすますことは出来ないのであり、任意に支払わない場合は強制的な方法によつて支払を受けることである程度の解決がはかられるのである。

そうしてみれば事件本人の福祉をはかる上からは従前どおり申立人が子の監護教育にあたることが適当であると認められるので申立人の親権者変更の申立を却下することとする。

(2)  財産分与

前記認定のとおり分与の対象となる共有財産は六四万五、〇〇〇円である。そして、申立人は約三年半にわたる結婚生活の期間中、約二年間は自らも外で働いて収入を得、その収入をそのまま相手方に手渡していたものであり、更にこの間に二児をもうけて家事、育児に専念し、その蓄財にかなり大きく寄与していること、離婚に至つた原因は元より双方に非とさるべき点はあつたとはいえ、相手方の異常ともいえる吝嗇が更に破綻へと追いやつたものであつたこと、申立人は今後二人の子供の親権者として子を監護教育して働かねばならぬのであり、これは容易なことではないこと、以上のような事実関係を総合すると申立人はその共有財産のうち二分の一に相当する三二万二、五〇〇円を取得させるをもつて相当とする。

よつて主文のとおり審判する次第である。

(家事審判官 浅田登美子)

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